江戸時代藩校の魅力
藩校とは江戸時代、各藩によって設立・経営され、藩士の子弟育成のための学校です。藩黌(はんこう)、藩学、藩学校とも言います。各藩が人材養成に力を入れ、ほとんどの有力大名が藩校を設け、発展期を迎え、全国255校をも数えました。初期の藩主の学問所や招へいされた碩儒の家塾的なものから、組織・校舎などが整備され、総合的教育のための藩の重要な施設となりました。学習内容は「文武兼備」を目標としましたが、実際には文の比重が大きいです。年少で入学し、まず文を学び、15歳前後から武をも学ぶ例が多いです。学習の中枢は漢学で、すべての藩学で行われており、初学者にも四書五経などの儒学書の素読と習字を課しました。 藩校は藩士の忠誠心を養う人格陶冶から、藩の富国強兵のための時務に通ずる吏僚の知識技能を培う実学教育を目ざす方向に進んでいきました。また、結果として地方文化の振興にも貢献しました。1871(明治4)年の廃藩置県で廃止され、一部は公私立の専門学校、中学校、小学校に変わりました。藩校は日本の教育の原点です。 第5期は、福島藩(福島県)「講学所」、秋田藩(久保田藩・秋田県)「明徳館」=写真は久保田城、弘前藩(青森県)「稽古館」、小田原藩(神奈川県)「集成館」、川越藩(埼玉県)「博喩堂」、高崎藩(群馬県)「遊芸館」を取り上げます。 【開講日】2026年7月4日(土) 原則第1土曜 13時半~15時 【講 師】胡 金定(甲南大学名誉教授、一般社団法人・日中文化振興事業団代表理事) 【受講料】6カ月6回 1万6500円 1回受講 3850円 *文化センターの常設講座が初めての方は別途、入会金が必要です。 第1回 7月4日 福島藩「講学所」=福島県 福島藩(板倉家)の藩校「講学所」は1818〜1830年、藩主・板倉勝俊によって設立されました。藩士の子弟に学問や武芸を教え、人材を育成するための教育機関でした。現在の福島市杉妻町周辺に置かれていました。1868年、板倉家が三河国重原へ転封(国替え)となった際、藩校も移転しました。福島藩の講学所のほか、近隣の藩でも教育施設が設けられていました。 第2回 8月1日 秋田藩(久保田藩)「明徳館」=秋田県 秋田藩の「明徳館」は1789年に9代藩主・佐竹義和が設立して、当初は「学館」と称し、1793年に「明道館」、1811年に「明徳館」へと改称されました。藩政改革の一環として人材育成と学問奨励を目的に朱子学を中心とした儒学を教えました。1795年には医学館も併設され漢方医学が教えられ、1825年以降「和学方」の設置、国学も正式に取り入れられました。跡地は、現代も秋田市の中心地として残る歴史的な教育拠点です。 第3回 9月12日(第2土曜日) 弘前藩「稽古館」=青森県 弘前藩の「稽古館」は8代藩主・津軽信明が藩校創設の計画を立てていたが急死し、その遺志を継いで1796年、9代寧親が設立しました。武士の子弟教育の中心で、和学・漢学・朱子学・蘭学、幕末には英学や砲術も教えました。稽古館が出版した「孝経」「尚書」などの典籍は「稽古館本」と呼ばれ、現在もその資料が東奥義塾高校に所蔵され、地域の歴史研究で注目されています。 第4回 10月10日(第2土曜日) 小田原藩「集成館」=神奈川県 小田原藩は、江戸時代に相模国(現・神奈川県)小田原城を拠点とした大久保氏が代々藩主を務めた(譜代大名)藩です。特に7代忠真が1822年に小田原城三の丸に開いた藩校「集成館」が有名です。人材育成を目的とし、「小学」や四書五経などの経書、歴史、文学を教えました。1871年に「文武館」へ改称後、1872年の学制施行に伴い閉校。後の県立小田原高校の前身となった名門校です。 第5回 11月7日 川越藩「博喩堂」=埼玉県 川越藩の「博喩堂(はくゆどう)」は江戸後期の1825年、4代藩主・松平斉典によって大手門北側(現・川越市役所付近)に設立されました。道徳を広く諭す(博く喩す)という意味が込められ、与力から下級武士まで約100人が朱子学を学び、版元として「校刻日本外史」を出版するなど藩の教育・文化向上に大きく寄与しました。「講学所」とも呼ばれ、後に設立された「長善館」と共に藩の教育を担いました。 第6回 12月5日 高崎藩「遊芸館」=群馬県 高崎藩の「遊芸館」は2代藩主・松平輝高が、江戸中期1760年に高崎城三の丸(現在の群馬県高崎市)に藩士の文武奨励と人材育成を目的として設けられました。学問(四書五経、皇朝史略、和書など)と武術(槍術、剣術、柔術、弓術、抜刀術など)の文武両道を重視した教育を行っていました。後に「文武館」(もんぶかん)へと改称・発展し、明治維新直前まで藩の教育の拠点となりました。



















































